その「心配」は何の為?

毎日の生活、心配事がいっぱいですよね。

そう感じている人、いますか?

 

未知のウイルス、だったり、

新しい生活様式だったり。

 

感染したらどうしよう?

この環境についていけるだろうか?

etc.

 

自分の心配もさることながら、

子供に対しての心配もしていますよね?!

 

それ、本当に必要ですか?

 

親が子供の心配をするのは当たり前

じゃないですか?と

叱られるかもしれませんが。

 

ある程度の年齢までは、

親の保護を必要としています。

その年齢までは心配してもよいかもしれません。

 

でも、その心配、すればするほど

子供自身も心配が増すことになり、

前に進めなくなることがあります。

 

我が家の話ですが、

子供が10歳の時だったでしょうか。

夏休み、校外学習に参加することに。

 

集合場所に行くためにはバスを乗り継いで

いかないと参加できない。

共働きだったので、親が送ってはいけない。

 

参加を取りやめるという選択もあったかもですが

せっかくなら参加させたい。

 

なので、休日に、

親と一緒に、事前予行練習をしました。

どのバスに乗って、どこで降りるか。

 

参加当日、本人が一人で現地へ行き、

無事帰って来た時は本当に安心しました。

 

この時、案外心配しなくても、

ちゃんと行ける、子供は成長しているなと

思った覚えがあります。

 

この経験から、

親が心配するより、子供を信じて任せてみる、

そんなことを学んだのです。

 

残念ながら、子供への心配事は、

年を重ねてもなくなりません。

 

それは、心配事のみを親が見ているから。

 

「大丈夫?」と言えば言う程、

子供へのメッセージは

「親は私のことを大丈夫ではないと、思っているのね」

と受け取っていきます。

 

そうなると、ますます

「私、大丈夫じゃない、どうしよう?」と

不安になっていきます。

 

心配するのは、

これからの先のことばかり見ているから。

それより、現時点、今を観ましょう。

今ある、楽しい事、面白いことを探してみて。

 

そして、もし、今心配なことが起きている所ならば、

その原因を探すのではなく、

この出来事は

何を学べということなのか、

何を変えろということなのか、

と、意識を変化させて、考えてみて。

 

ダーウィンの言葉で、

「最も強いものが生き残るのではなく

最も賢いものが生き残るのでもない。

唯一生き残るのは、変化できるものである」

 

何かの出来事を、

どうしてこうなったのかと原因を探すのでなく、

これからどうしろという事なのかと、

変化の機会ととらえていく。

 

どんな環境の中でも、

意識を変化させるならば、

楽しい事、面白い事、探せます。

 

意識を向けるところにエネルギーは

流れますから、

心配したら心配事が増えて、

楽しいを見つけていけば楽しい事が増えます。

 

あなたはどこに、意識、

エネルギーを向けますか?

 

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